
昔むかし、まだ成田空港はなかったころの話である。
アメリカに引っ越す日、「

空の表玄関」羽田空港へ向かった。
海外引越の常として運び屋に駆り出され、シティガールも妹も
一個ずつ大きなスーツケースを持たされた。
スーツケースは、軽い布製のものを母が選んでくれたのだが、
船便で送った引越し荷物が届くまで、生活に必要な身の回りのもの
一式が制限重量いっぱいに詰め込まれていて、とても重かった。
底に車などはついていない旧型スーツケースの取っ手を掴んで
持ち上げては休み、また持ち上げて、殆ど引きずるようにして
はぁはぁ

言いながら歩いたものだ。
空港には祖父母や親戚、父の友人たちなど大勢が見送りに来て
くれて、グループの声援に送られて搭乗ゲートをくぐった。
そのころは国際線でも国内線同様に誰でもゲートまで入れた
ような記憶がうっすらとあるが・・・?
2年前に就航していた東京−NY線は、機材DC-8で、ホノルルと
SFでの給油ストップがあり、NYまで気が遠くなるような時間が
かかった。
太平洋横断の途中で「
日付変更線を通過」の機内アナウンス。
休息中の機内に突然明かりが点いて、うやうやしく「

通過証」が
配られた。

「どれどれ?」

窓のシェードを上げて外を覗ったが、眩しい空と雲が続くばかりで、
「線」も何も目に見えるような印はなかった。
(笑)ハワイが近づき、飲み物サービスに再登場したアテンダントさん
(当時の呼称は「スチュワーデス」)は、着物姿だった。
それもきちんとした和装で、ちゃんと帯も締めていた。
いったいいつの間に、この狭い機内でどうやって

「早変わり」は強烈な印象が残ったが、記念すべき

初上陸地、
ハワイは
(と言っても空港だけの滞在だったが)おぼろげ。
SFでのストップに至っては、記憶から抜け落ちている。
どこかでイミグレーションも通過したはずなのに・・・
眠さと疲れでもうろうとしていたのかもしれない。
暗殺されたケネディ大統領にちなんで名称が変わったばかりの
JFK空港(元の名称は「Idlewild空港」)にやっと到着してドアが開くと
そこには通路が延びていた。

そのまま歩いていくとターミナルの内部につながっていた。
羽田でもホノルルでもタラップだったので、ゲートに直接横付け
するタイプの空港はその時初めて見た。
ゲートから
Baggage Claim(*)までの長い通路の途中、
レストルーム

に寄った。
手を乾かすための乾燥機が備え付けてあったのも目からウロコ
だったが、洗面台の脇ですれ違った女性の「Excuse me」で
目が点に。

すれ違っただけなのに「すみません」とは! かつてこのような
場面に遭遇したことは一度もなかった。
自国では少しくらい身体が接触しても誰も何も言わなかったし、
他人を背後からぐいぐい押すことも日常的に行われていたのだから。
しかも、これまで頭でしか知らなかった「エクスキューズミー」とは
全く違う、ものすごい早口の、本場の「Excuse me」だった。

降機してから荷物を受け取るまで、ほんの短い時間だったが
たて続けに降りかかってくる信じられない量の驚異や衝撃を
時差ぼけの子供の頭で必死にプロセスした。
たくさんの「常識」が一度に覆り、これまでとは別の世界に
足を踏み入れたことを肌で感じた。
NYの我が家で初めて過ごしたその晩、何度も慣れないふかふか
ベッドから落ちた。
(笑)床に敷き詰められたふわふわカーペットのおかげであまり痛みは
感じず、すべてが夢の中の出来事のようだった。
ジェット機を降りた後も、小刻みな振動はずっと身体に残って
長い長いファントムフライトが翌日まで続いた。
十年一昔というが、これは「いつの時代のこと?」と笑ってしまうような
大昔、40年前の8月16日の出来事である。
続きを読む "十年一昔 ( x 4)"